般若心経の訳 3


『色不異空 空不異色』



「色」とは五蘊(色受想行識)の色で受想行識の対象となるものであって肉体だけとは限らない。あらゆるものを差し、これらは全て異なる縁から生じているもので無くなることはない。縁もまた異なる対象物を捉えているので無くなることはないということになる。

形なるものというものは、人間の目に見えるものだけではない。音や匂いといったように目には見えないが存在しているものが沢山ある。その沢山あるものが常に変化をしているということは、そのそれぞれにエネルギーを持っていて常に波動していることになる。その止まることなく動いているエネルギーはあらゆる波長をだしていてこの宇宙で繋がっていた。

どういうことかと言うと、私たちが生き抜くためには沢山の命を食べて命を繋いでいる。決して一人で生きているのではなく、他の命の繋がりがあって私たちは変化をし続けて生きているのだ。

あなたを生んでくれた親がいて、またその親も生んでくれた親がいる。野菜も同じで太陽があって土があって水があるから育つ。決して何か1つだけで成り立っているものは何一つと無いのだ。

その全てが1つの法則に従ってあらゆるものと繋がっている。


物質の変化というものは、様々な縁の組み合わせで無限に続き、その変化を波長として人間の六根で捉えているに過ぎないのだ。

私たちがそれをどう捉えどう思い行動に出て意識していくかも同じことで無限の縁によって無限に存在する。(受想行識 亦復如是)


このやり取りが永遠に続くことで時は流れているのだ。人それぞれの永遠の繋がりは人それぞれ無限に存在し、決してあなたと同じ人は誰一人といない。従って今のあなたと同じ方向を持つ人であっても、そこにたどり着く過程(縁)は誰一人として同じではない。


この流れをあなたの持つ自我が食い止めている。自我で生きる命は自然の命ではないため、必ずや苦しみが生じるのだ。

自我は1つの価値観から生まれた善の方向にだけ働きかける命であり、これが煩悩になっていく。しかし、価値観には肯定と否定があり、否定は精神を殺すことになる。自分の価値観を通して物事を見ていくから否定が生まれあなた自身と相手を殺しているのだ(殺生)。この片寄った見方が本来のものを伏せてしまい見えなくなっていく。



つづく

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