般若心経の訳 2



これは私が訳したもので、正しいか否かは抜きにして下さいね


『照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子』

ここで大事なことは「空」になる。「空」とは何か?
「空」とは何もないとか実体がないというものではない。

無限に存在するからこれぞというものが無いということになるのだ。

何が無限に存在するか?それは因果の道理そのもので、「縁」というものは無限に存在している。この宇宙そのものが無限の縁によって出来ている。

従ってこれを訳すと、
『私たちが何かを捉え、どう思って行動に出て意識していくかは全て無限に存在する縁から来るものだと見極めた。そして、全ての苦しみを断ち切ることが出来た。』
となるのだ。

つまり、私たちの心はこの繰り返しで意識を作っており、これが肉体ある以上永遠に続いて時は流れているのだ。(諸法無我)
従ってその捉えた結果が苦しみを生んでいたのなら、この苦しみは次なる縁になって新たな苦しみを作っていたのだ。これに気づくことによって苦しみから逃れる方法を見付けることが出来た。

苦しみは何かを捉えてしまう自分が持っているこだわり(価値観)が原因で、その価値観から物事を主観的に捉えているから生じていたのだ。その出した答えがまた次なる苦しみの縁となり新たなものを捉えていく。その価値観から生み出されたこだわりがなくなるまでその縁は尽きることがなかったのだ。

それはこの宇宙も同じで、無限に存在する縁によって姿形を変えながら時が流れているのだ。(諸行無常)

この宇宙には私たちの心と同じで完全なるものなど何一つと無かったのだ。その流れを価値観があるとこだわることによって無常の流れを止めてしまうから苦しみが生じていたのだ。苦しみは自分の生き方が宇宙と比べて間違っていることを教えてくれていたのだ。


いかがだったでしょうか?


お釈迦様は自分の悟った道(心)を舎利子に教えていたのですね。けっして観音様が舎利子に話していたのではありませんよ。般若心経は他人事ではないのです。
あなた自身の救いになる教えなのです。


だからここを間違えてしまうと他人事になってしまい、修行方法が判らなくなってしまうのです。


つづく

#般若心経